クジラの宝箱

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『思い出のマーニー』の考察!マーニーって何者?原作を読むと深く理解できるドラマチックストーリー。

 『思い出のマーニー』は、1980年に岩波文庫より出版されたイギリスの児童文学です。

2014年にスタジオジブリで映画化されたので、読んだことがなくても「映画は見たことがある」という方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

 

映画版は、「難しくて意味がよく分からなかった…」という感想もちらほら見かけますが、原作では主人公アンナの心情が丁寧に描かれているため、アンナの抱えている孤独やストーリーを深く理解することができます。

 

映画を見て涙したことがある方は、ぜったい原作が好きになれると思います!

 

今回は、原作と映画の違いを解説します。さらに、マーニーの正体とは何なのか?この物語の一番のメッセージは何か?を考察をしてみました。

『思い出のマーニー』の対象年齢

 小学校5、6年生 以上

『思い出のマーニー』がきっと大切な本になる人

 ・内向的なことで悩んだことがある人

 ・誰にも言えない心の傷がある人

 ・孤独を抱えている人

 ・繊細な感性の人

『思い出のマーニー』をぜひ読んでほしい人

 ・内向的なこどもに悩んでいるご両親

 ・こどもへの接し方に悩んでいるご両親

 ・映画の内容をもっと深く理解したい人

『思い出のマーニー』のあらすじ

両親を亡くし、義理の家族と暮らしているアンナ。

 

アンナは、こころに傷を抱えて、心を閉ざしています。

友達も欲しくないし、何もしたくない・・・。

そんなアンナを、義理の母親はいつも心配していたのでした。

 

あるとき持病の喘息がひどくなり、療養のため、海辺の村の老夫婦のもとにあずけられることになりました。

 

アンナは、村に入江にある「湿っち屋敷」と呼ばれる洋館で、美しい少女マーニーに出会います。マーニーの前ではなぜか自分らしく居ることができたアンナは、すぐに彼女のことが大好きになりました。

 

毎日マーニーと遊ぶアンナ。しかし、村の人は誰もマーニーのことを知らず、お屋敷には誰も住んでいないといいます…。

 マーニーとはいったい何者なのでしょうか?

 

原作と映画の違い

映画ではマーニーとアンナの出会いがメインに描かれています。

 

しかし原作の後半からは、湿っち屋敷に越してきたリンゼー家の人々との交流や、マーニーの秘密を紐解いていく展開がメインに描かれています。

舞台は日本ではなくイギリス

映画では、舞台が現代日本の北海道に置き換えられていましたが、原作ではイギリスのノーフォーク州がモデルとなっています。アンナの暮らす街、リトル・オーバートンは、架空の町です。

イギリス、ノーフォーク

モデルとなった、イギリス、ノーフォークの実際の写真

干潮時のバーナム・オーバリーの入江

干満差が大きな入江。まさに湿っちですね!

ですので、出てくるキャラクターも全員イギリス人です。

「ふとっちょぶた」と言ってしまったときのアンナの心理描写

映画には、原作にはない「アンナが七夕まつりに参加する」シーンがあります。

 

内向的なアンナは、お祭りなんて行きたくないと考えていましたが、おばさん達が気を使ってセッティングしてくれた手前、断ることができませんでした。

 

そうしてアンナは、近所のおばさんの娘の信子と、信子の友達たちと一緒に、村の七夕祭りに参加することになります。

 

お祭りに行くと、信子はアンナが書いた短冊を平気で手に取ったり、「ふつうに暮らしたい」と書かれた短冊を読みあげ、みんなの前で「普通ってなに?」と聞いてきたり、目の色が違うことを指摘したり…。

 

信子はいじわるをするつもりは全くありません。

しかし、アンナが感じている境界線を簡単に飛び越えてしまう信子の行動に、アンナはますます「私は、内側に入ることができない、外側の人間だ」と再認識させられることになってしまいます。

 

耐えきれなくなったアンナは、ついに「おせっかい。ふとっちょぶた!」といってしまうのです。

 

それに対して信子は、「普通に暮らしたい、の意味がわかったわ。世界はあなたが見えているように見えているだけよ。」と返すのでした。

 

信子はアンナからひどいことを言われてもなお、「さあ、もうこの話は終わり!」とアンナを許す言葉を投げかけます。しかしアンナはそれを聞き終わらないうちに、走って逃げ出し、お祭り会場を後にしました。

 

その後「こんなことを言う自分が一番嫌い」と一人で泣いているアンナを見ると、周囲に強い疎外感を感じていることや、孤独を抱えていることを描写するためのシーンということが理解できます。

 

しかし、信子が良い子だっただけに、「そこまで言わなくても…」と主人公に感情移入できない人もたくさんいるのでは?と思ってしまいました。

 

この描写だけ見ると、アンナの性格がただただ悪く思えてしまうというか…。

 

映画では序盤から、「メーメーうるさいヤギみたい」「クマ…いやトドかな」など、心のなかで人を動物に例える描写があります。「ふとっちょぶた」を自然に言わせるための伏線だったのかもしれませんが、私はかえってアンナの性格がひねくれているだけの描写になっていたように思います。

 

個人的には、人とは違う経験をしているアンナだからこそ、かえって他の子よりも分別があってもいいのでは?くらいに思っていたのですが、アンナが観客に受け入れられ辛い描き方をするのは、ちょっと寂しかったです。

 

脱線してしまいましたが、原作のこのシーンでは、サンドラ(信子に置き換わる人物)に対し、アンナは愛想をよくしようと努めています。しかし、人との交流(とくに同年代)に苦手意識を持っている上に、相手がいじわるなことを言ってきたがために、言い返すために嫌な言葉が出てしまったという描写になっているのです。

 

もちろん悪いことを言ったことには変わりありません。しかし、その言葉が出るまでのアンナの気持ちがきちんと描かれているため、アンナが一方的に悪いだけではないことが分かります。

 

「世界には目には見えない魔法の輪がある。私は外側の人間だ」と言うアンナのセリフがありますが、私は映画のこのシーンだけは、ほとんどの観客が「内側の人」の目線でアンナを見てしまうのではと思いました…。

 

原作では、アンナがどういう気持ちでそういう言葉発したのか、ということがきちんと書かれていますので、「外側にいるアンナ」の気持ちと自分を一体化させることができました。

湿っち屋敷に越してきた家族

映画が後半にさしかかると、湿っち屋敷にはとある家族が引っ越してきます。

アンナは屋敷に越してきた彩香ちゃんと友達になりますが、原作の下巻はこの一家との交流がメインになります。

 

映画では2人きょうだいのように見えますが、原作では5人きょうだいという設定です。

 

この家族は「ありのままのアンナ」を受け入れてくれる場所であり、新たに現実世界で歩みだす場所として描かれています。

 

『思い出のマーニー』の考察

ここからはネタバレを含みます。原作を読んでみたいと思われた方は、ぜひ読み終わった後に、お戻りいただけたら嬉しいです!

 

親から引き継がれた「愛されない子供」の呪い

「義母が助成金を受け取っていることを自分に隠していること」

「こんな辛い思いをさせるなんて、私を残して死んだ両親が許せない」

 

アンナの抱えている傷は、親という存在から愛されていない(と思い込んでいる)ことです。

 

 

私は『思い出のマーニー』の物語は、親から受け継がれてきた「愛してもらえない」という心の傷を、アンナが断ち切る物語だと思いました。

 

 

「親に愛してもらえない」のという心の傷が、癒されていないまま大人になってしまうと、自分の子供ができたときに、自分の子供へと受け継がれるケースがあります。

 

虐待をされていた子供が、親になったときに同じことを繰り返してしまうことを「世代間連鎖」といいますが、無意識に同じ行動をとってしまうのです。

 

 

母親にほったらかしにされ、使用人にもいじめられて過ごしたマーニーは、「母親らしく」子供を育てることができず、娘と打ち解けることができませんでした。

 

結果、マーニーの子供(アンナの母親)は家を出て行ってしまいます。そして最終的に、打ち解けることができないまま、アンナの両親は事故で亡くなってしまいます。

 

そうした結果、アンナは母親の愛情を受けることが出来ずに育つことになるのです。

 

義母は確かにアンナのことを愛してはいたものの、アンナが内向的なことをいつも心配しているなど、ありのままのアンナを受け入れることができていません。アンナはその様子にさらに傷つき、そうした結果、親がいないことさえも恨むようになってしまうのです。

 

こうして受け継がれてきた「親から愛してもらえない」という傷。

マーニーとアンナはお互いを無条件で愛せる存在に出会い、「傷の追体験」をすることで、その呪いを断ち切っていきます。

 

アンナは、自分に似ている少女に出会うことにより、今まで誰にも言えなかった心の痛みを打ち明けることができました。これまでずっと一人で我慢してきた辛い気持ちを、はじめて声に出して、涙にします。アンナは、自分を愛してくれていると信じることができる存在に、初めて出会うのです。

 

こうしてマーニーとアンナは親友になりますが、嵐の中の風車小屋で、マーニーはアンナを置いて帰ってしまうという事件が起こります。

これこそが傷の追体験です。

マーニーは意図して置き去りにしたわけではなかったのですが、「自分を残して死んだ両親」「老夫婦のもとへ預けた義母」と同じように、アンナが一番許せなかった「自分を置き去りにする」という行為を、よりによって、一番信頼していたマーニーにされてしまうのです。

 

当然のことながら、アンナはひどく怒りました。

 

そして、「この相手に向かって怒る」という行為こそが、この追体験の中で、アンナの心を回復させるために一番重要な行動だったのだと私は思います。

(ただ追体験をするだけでは、単にまた傷ついてしまうだけですので…)

 

アンナは、今までこういうとき、「普通の顔」をしてやり過ごしてきました。

それは波風が立たないようにその場をやり過ごすことで、心が痛みださないようにする、身を守るための行為でした。

 

しかし、「普通の顔」とは抵抗しないということでもありますから、新たな傷を防ぐことはできません。こうしてアンナの心は、どんどん無防備に傷つき、心を閉ざすようになったのだと思います。

 

そんなアンナが「怒り」という自分の心を守る感情を、表に出したことが、回復への第一歩だったのだと思います。

 

その後、マーニーに会うアンナですが、「ごめんなさい、そんなことをするつもりじゃなかったの。許してくれるといって」と泣いて謝るマーニーに、アンナはすっかり怒りの感情がなくなり、「許してあげる、だいすきよ」と返しました。

 

その後マーニーと別れたアンナは、嵐の海に溺れてしまいそうになりますが、アンナはもう「溺れたくない」という強い生命感にあふれていました。

 

マーニーと過ごした日々により、アンナの抱えていた傷はかさぶたになることができました。そうして最終的に、アンナは「リンゼー一家」という新しい居場所に歩き出すことができたのだと思います。

 

アンナはマーニーに出会うまでは、心を閉ざしてしまっていたので、本来気づくことができたはずの義母の愛も、受け取れなかったのかもしれません。

 

大人になったアンナの姿は描かれていませんが、これからは周りの大人の愛をしっかりと受け取りながら、アンナは成長していけるのだと思います。

 

マーニーの正体ってなに?記憶から作り出された幻、それとも幽霊?

マーニーは結局「何」だったのか、という点について。

 

ここは特に、人によって解釈が大きく分かれる部分ではないか思います。

 

例えば、一緒に映画を見に行った友人は、こんなことを言っていました。

 

「マーニーの言葉は、幼い頃にアンナが自分の親やマーニーから言われた言葉なのではないか?マーニーは、アンナが覚えていないほど昔の、心の中の記憶が作り出した存在である。アンナは家族から確かに愛情を受けており、それを追体験しているのではと思った。」

 

マーニーは幽霊などではなく、アンナの記憶から空想された人物、という考察ですね。

 

原作に出てくるアンナの周りの大人たちも、これに近い考え方をしています。

あの人がアンナに花売りむすめの話をきかせたというようなこともありえるんじゃないかしら。……あなたが、あんなにとつぜん、はっきりとシー・ラベンダーのことを思い出したのは、ほんとうにふしぎなことですもの。

もしも、アンナが絵はがきを長い間(実際ぼろぼろになってしまうまで!) 、ながめつづけていたら、心の奥に残っているだろう。絵を描く場合も同じだ、とギリーはいいました。絵に描いた場所というのは、けっして忘れることがない。なぜなら、描く人が長い時間見つめていると、見つめていた場所がその人の一部になってしまうように思われるものだから、とギリーはいいました。

 

アンナが、知るはずないマーニーのことを知っているのは、アンナが幼い頃に、マーニーがお話しをして聞かせたことがあるのではないか。忘れてはいるかもしれないけど、心のどこかに残っているのだ、と言っています。

 

(原作では、アンナは時間が経つにつれてマーニーと出会ったことを忘れてしまいます。「実際に出会った」ことは誰にも話していませんので、アンナが疑われているわけではありません。)

 

たしかに、普通に考えれば、そうです。現実的で受け入れやすい考え方だと思います。

 

でも同時に、「しかしアンナって、本当にマーニーに会ったことがあって、よく覚えてるみたいに話すから、なんだか不思議よね」と考える余地を残すような描写もあります。

 

私は「不思議なことは、なぜか“ある”」と信じているほうなので、マーニーは存在していると考えずにはいられませんでした。

 

幽霊なのか、思念としてそこにとどまっているのかは分かりませんが、アンナの空想上の人物ではなく、マーニーはマーニーとして、確かに「湿っち屋敷」にいたのだと思います。

 

いた、というよりは、閉じ込められていた、と表現したほうが正しいかもしれません。

 

 

マーニーは、原作でも映画でも、アンナの空想ではなく、自我を持っているかのような描写がたびたび見られます。

 

例えば原作では、こんなマーニーのセリフがあります。

その時、女の子がいいました。声が、少しふるえていました。

「あなた、ゆうれいみたいに見えるわ。そこに、そんなふうに、じっと立ってると。アンナ……、アンナ、あなたは、ほんとに、ほんとの人間?ほんとうの人間ね?」

まるで、むしろアンナがマーニーのいる時代にタイムスリップしているかのような描写です。

 

映画でも、嵐の風車小屋にアンナを置きざりにしたことを謝るシーンで、「ごめんなさい、そんなつもりはなかったの!だってとにかく、あなたはあの時、あの場所にいなかったのよ!」と、マーニー自身も何が起こったのかよく分からないという調子で言っていました。

 

つまり、マーニーは、生前の記憶の部分部分をアンナに組み換えながら、マーニー自身もアンナと一緒に子供時代を追体験していっているのではないでしょうか。

 

原作には、「子供が健康に育つためには愛情が欠かせない」というセリフがあります。

「ふしぎなことだけれど、愛されるということが、わたしたちが成長していくのを助けてくれる大切な条件の一つのなんですよ。だから、ある意味で、マーニーは成長することができなかったのね。」

マーニーは、親に放ったらかしにされ、使用人にもいじわるをされ、愛されない子供として過ごしてきました。

 

マーニーが、子供の姿であの館から離れることができなかったのは、「親の愛情を受けられず、成長することができなかった」からではないでしょうか。

 

しかしアンナと出会い、「愛してる」と言ってもらえたことで、マーニー自身も癒されたのではないかと思います。

 

ちなみに、「許してあげると言って」という言葉ですが、これは、アンナを置き去りに死んでしまった祖母としてのマーニーの言葉でもあるのかなと思いました。

 

マーニーとアンナが出会うことによって、アンナだけではなく、マーニーも救われたのではないかと思います。

 

『思い出のマーニー』を読んだ感想

思い入れのある作品だったので、めちゃくちゃ長くなってしまいました…!汗

今回は紹介しきれませんでしたが、原作のなかには、素敵なセリフや心が温かくなるシーンが、本当にたっっくさんつまっています。

そんなシーンばかりなので、宝箱みたいな本だなあと思いました。

 

映画では分かり辛いと言われることが多い『思い出のマーニー』ですが、原作には「アンナの心の声」がしっかり描かれています。とくに文庫本の上巻は、ここの描写がメインといっても過言ではないです!

マーニーとお別れしたあとがメインになる下巻で、アンナを温かく迎え入れてくれるリンゼー一家との交流は、こちらまで心が温かくなります。

とくに締めくくりがにドラマチックで、美しくて…。

ここでは書きませんので、ぜひ読んでみてください。

 

自分の傷を乗り越えるという物語がお好きな人は(たとえば『西の魔女が死んだ』など!)、きっとあなたにとって大切な本になると思います。

 

今回読んだ本

『思い出のマーニー(上・下)』

岩波少年文庫
作 ジョージ・G・ロビンソン
訳 松野正子