クジラの宝箱

絵本や児童文学など、ワクワクするものをまとめるブログです。

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子供時代に帰るブログ。絵本や児童文学を中心に、癒されるもの、ワクワクするものをご紹介します。

「超自我」とは何か?夢の中で見た超自我の存在。

自分がした行動や言葉を思い出して、ああ、消えたい、と気付けばつぶやいている。

そういう瞬間が一日に何度もやってきて、だんだんと心が疲弊していく。

 

そんな毎日を繰り返していたある日、苦しみの元凶の「顔」を見た。

 

それは先日みた夢でのこと。

「これは夢だ」と分かるタイプの夢だったので自由に遊びまわっていたのだが、あるものに触れた瞬間、実家のリビングに敷かれた布団の上で起きた。といっても本当の実家ではなく、夢の中の実家である。(つまり、今まで見ていたのは夢の中の夢)

 

その夢の夢から覚めたとき、隣には見知らぬおじいさんがいた。

ぼさぼさの白髪で、小汚いパジャマを着て、不機嫌そうな顔で、椅子の上からこちらの顔を横目でじとっと見ていた。

私はそのおじいさんと目があったとき、思わず目をそらして「ごめんなさい」とつぶやいた。おじいさんは何も言わず席を立ち、トイレに消えていった。

 

自分の心のなかにはこのおじいさんの目がある、ということをはっきり自覚させられた夢だった。

 

あのとき謝ったのは、夢のなかの夢で遊びすぎたことを、この人は怒っているんだと思ったからだった。でも、よくよく考えると別に何も悪いことはしていない、はず。

しかし、私は「まずい」と感じていたし、かなり気を遣っていた。

 

 

心理学の専門家の方に、このおじいさんの正体はフロイトの「超自我」にあたるのではと教えて頂いた。

超自我は自我に対して監視人,裁判官,指導者のような役割を果たす,いわば良心のようなものであるが,すぐれて無意識的である点で通常の良心と異なる。超自我は両親の禁止や命令を内在化したものであるが,現実の両親像ではなく,両親の超自我を内在化したもので,それを中心としてあとから教師などを介してさまざまな社会的規範がつけ加わる。

引用:超自我(ちょうじが)とは - コトバンク

 

「これやったらダメだよな~」と自分で考えるのが自我で、考える余地なく問答無用で「やってはいけない」「こうすべきである」と突き付けてくるのが超自我。

つまり、あのおじいさんは、私の「理性」や「良心」である一方で「監視の目」とも言える存在。

 

思い返すと、これまでの人生「こうすべきだ」「これはすべきでない」という目に見えないルールに縛られて生きてきた。そこからはみ出したくても、はみ出すことができなかった。

そして冒頭のように、少しでもうまくいかなかったことがあると、頭によぎってしまう。

 

あのおじいさんが、私の超自我なのだとしたら、不機嫌そうで、疲れきっていて、小汚い装いで年を取っていたのは、超自我の力が強すぎていることを表しているのだろうか?

 

とにかく、自分の中の自分が、あんなに年を取ったおじいさんだったことがとても衝撃だった。決して悪人という感じはしなかったけれども、若々しさや生命感とは無縁で、虚しさを感じるくらいだった。

 

他の人の超自我も、顔があるとしたら、たいていあんな感じなのだろうか?

 

疑問がつきないけど、この人との付き合い方が、今後の人生の課題のなかの一つになることは間違いなさそう。若返ったりするのかな。それとも、このタイミングではおじいさんだったけど、違うタイミングではそんなこともないのか。

 

このタイミングで超自我の存在を見させられたのは、向き合う必要があるからなのだとは思った。